まだそこまで大手商社がファッション畑に参入していない時代…古くは『HUGO BOSS』や『EMPOLIO ARMANI』、そして『Corneliani』、『ASPESI』等々のそうそうたるブランドを初めて日本に紹介した立役者でもあり、ファッションだけに止まらず、食、音楽、車、家具と、男のロマンにおける全てのジャンルで日本を引率してきた
僕の恩人でもあり、 Teacherでもあり、良くも悪くも大好きな兄貴だった、 名インポーターでもありデザイナーの佐藤陽一氏が突如 この世から旅立ってしまいました。。。
1987年 佐藤さんによって設立された『FIGO』社は、青山表参道の路地裏に彼の想いが全て詰まったセレクトショップ『LA GAZZETTA 1987』を設立…同じ年の7月に彼のインポーターとしての代表作となった 1973年に創業したイタリアの鞄ブランド『Felisi』と輸入契約を結び日本での代理店となりました。
さらに1999年には『フェリージ』の世界での営業権利を全て手にし 売上高を伸ばした結果、日本進出当時は認知度が低かったこのブランドも一気に全世界でブレイク…お店も2003年9月にリニューアルオープンすべく その記念に しっかりとしたカタログを作成したいという佐藤さんからの依頼で
このクレジットメンバーで撮影が行われました。
確か 僕はだいぶその前から「日本のスタイリストってなんであんなにダサいのかね…誰一人としてライフスタイルがないんだよね〜正直 僕はカズ以外は認めてないから…。」と嬉しすぎる賛辞とともに、『LA GAZZETTA』のディスプレイを全て任せてくれた挙句に、社外契約スタッフとしてお給料までいただき、公私ともに佐藤さんとは毎日にように 当時ようやく日本に登場し始めた Buona sera(ボナセーラ)系の本格的本場の味のイタリアン等でこれからのファッション業界について熱く語り合ってた頃。。。
このセピアカラーの表紙から始まる 厚みを感じる高級感満載なカタログは
忘れもしません…とても国内とは思えない趣のあるヨーロッパ風なアーチや建物が建ち並ぶ
現在は日本BS放送の建物となっている(らしい)
御茶ノ水に今でも存在する 元『文化学院』の校舎で撮影されました。
以前にもカミングアウトしたように、ライフスタイルにはこだわっていたものの そこまでファッションには固執していなかった当時のわたくしは
30歳代のほとんどをスタイリストというかは ファッションディレクションとフォトグラファーに力を注いでいたので
このカタログ撮影もちょうどその絶頂だった頃…。
もちろんまだデジタルなんてこの世に存在しないフィルムの世界ですし、
撮影中はカメラマンとしては露出調整でポラロイドを念入りにチェックしながら一枚一枚大事にシャッターを切りつつ、 さらにスタイリストとして シワ一本ですら見逃す事のないよう目を光らせながら 服の直しに入るといった大忙しな現場が続いた撮影だったのを今でもよく覚えております。
ディレクターと記された加藤ちゃんは当時の『FIGO』プレスでありまして、まとめ役という意味でクレジットをされていたようですが 実際は現場にはおらず、ほとんど佐藤さんと僕との二人だけのディスカッションのみでこのカタログは作られました。
ものすごく可愛かった『Felisi』のドッグアクセサリーのモデルには、なんと今は亡き僕の愛犬『グリ』姫が…この時させていた首輪とリードは、今でも2代目グラ姫が受け継いでおります。。。
とにかく車好きで有名だった佐藤さん…この二台の車も確か当時 自ら所有していた1956年製の『Bandini 750 Streamliner』と1939年製の『FIAT 508c d’Oro』…
あまり車に関しては強くない僕に、よくイタリアの『Mille Miglia』やその他のレースで活躍した貴重なものだよと説明してくれました。
そしてやっぱり外せない『Ferrari』も…イントネーションが似ているだけかもしれませんが(笑)
『フェリージ』も イタリアのフェラーラの小さな皮工房から 初代社長のアレッサンドロ.フェリージと現社長のアンナ.リザ.フェローニの二人が始めたブランドとうことで 、レトロかつモダンといった 古き良きものの美しさを追求した佐藤さんならではの まさに『先見の明』とも言える日本進出は、このカタログを機にさらに飛躍の一歩を踏み出すきっかけとなりました。
そうなんです…今考えれば 佐藤さんは全てにおいて その『先見の明』が優れ過ぎていたので、何もかもが少しだけ時代の先を走りすぎちゃった結果、いつからか世間からズレてしまったんですよね…。
マチャアキさんを始め数々のV.I.Pの方々が愛用する『Corthay』を やはり佐藤さんがちょうどパリから持って来られて これからという2004年…彼は覚せい剤取締り法違反と法人税法違反(脱税)容疑で東京地検に告発され逮捕されることになります。。。
(その後 2005年に『ユナイテッドアローズ』が『フィーゴ』社の株を買い取り、現在では『アローズ』の連結子会社となっております。)
そこから一度世間から姿を消すことになるわけですが、ここ数年は意欲的に ヴィンテージ・カーを愛し、ライフスタイルをスタイリッシュに愉しむ大人のためのブランド『Vintage Lovers (ヴィンテージラバーズ)』を立ち上げ、自ら好きなものだけを好きなようにデザインした『佐藤ワールド』を復活させた矢先のこと、昨年の年の瀬にこんな悲しい知らせを聞くことになってしまうとは…昨晩 1月4日東京 西五反田の『桐ヶ谷斎場』で行われたお通夜では親友の堺正章氏(確か僕が紹介したんですよね…。)がお通夜では珍しい弔辞を語り、たくさんの仲間たちと最後のお別れの時間を過ごしました。
棺に眠る佐藤さんのお顔は、まるでただただ普通に眠っているかのようなとても穏やかな表情…ビシッとブラックJKにタイドアップをし、かつ左ポケットに さらりと放り込んだようなチーフ遣いが 最後の最後まで佐藤さんらしくて素敵だったなぁ。。。(涙)
最後に一言だけ…本来はもっともっと上に立つ立場だったはずの佐藤さんのように、やはり日本のファッション業界というものは未だに「お洒落すぎはタブー」という言葉がぴったりとハマるほど 妬みと恨みの渦に巻かれた、あくまでも かっこよすぎるものが嫌われる世界が続いているのが現状でありまして、いくら佐藤さんのように欧米よりもさらに進化したことを日本でやろうとしても 大きな力で潰されてしまうのが事実…つまりこれまでの日本はファッションという枠の中で ビジネス(お金)としては成功したかもしれませんが、センスという意味では激しく遅れをとっているわけで、 悲しいかな 我が日本がファッションにおいて先進国になることは少なくとも僕が生きてる間には実現することはないでしょう。。。
その壁に早くから気づき、全力で立ち向かった 佐藤陽一氏…僕なんかは足元にも及ばない、元祖『色の魔術師』でもある それはそれは色気のある男でありました。走りすぎたのは「美学」と「センス」だけでよかったのに、まさか「人生」までも先に逝ってしまうとは…。
つい数ヶ月前も 久々に電話がかかってきて「なんかいいダンガリーシャツあったら教えてよ。」なんて言ってたのに…(涙)。
本当に色々なものを学ばさせていただきました…心の底からからご冥福をお祈りいたします。。。