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DEC 2011

『すべてのはじまり...そしてすべての終わり。。。』

NTVの『11PM』が一日のTVでもっとも遅いON AIRでかつ、一番見てはいけない番組だった...まだそんな時代に、フジテレビ制作で土曜の夜に衝撃的な深夜番組が生まれました...そのタイトルは『オールナイトフジ!』。。。
まだ0時ともなると全てのTV局が放送を終了していたこの時代に、なんと4~5時までON AIRをするという斬新な企画を...さらにまだそんなに売れっ子ではなかった「片岡鶴太郎」や「とんねるず」等の新世代のお笑いを大々的にフューチャーして人気者に育て、MCには当時まだ女子大生だった松本伊代や神田うの等を中心に大勢の有名現役女子大生をメインキャラクターに抜擢するという大胆極まりない演出でいきなり世の中を「女子大生ブーム」に落し入れたこの怪物番組の仕掛人はひとりの局プロデューサーでありました...
...その名は新井義春氏。。。
今をときめく「秋元康」氏を発掘し、作詞家としてではなくこの番組をはじめ様々な時代の流れを作ったTVシーンで構成作家として確立させたのも彼の功績であります。
その後CXを独立をして「田辺エージェンシー」のもと『D3カンパニー』という制作会社を飛ぶ鳥を落とす勢いのクリエーター集団として立ち上げ、テレビ朝日系列でとんねるず主演で大人気を得た深夜ドラマ『トライアングルブルー』をきっかけに、日本で初めての本格的深夜枠『熱帯夜』(毎週月~金の深夜で、毎日まったく違った内容のバラエティーやドラマをON AIRしておりました!今や語る必要もないEXILEのリーダー、ヒロがデビュー当時在籍していた伝説のグループ『ZOO』や、もはやTBSの顔とも言える恵俊彰氏等もこの枠から世の中に登場しました...。)をはじめ、数々の伝説的番組を世に送り出したスーパープロデューサーだった新井さんが去る12月7日、この世を去りました。。。
新井さんが絶頂を極めていたこの当時、アシスタントから独り立ちしたばかりの20歳そこそこの僕は、ラッキーなことに唯一のレギュラーが当時バラエティーでの露出が半端ではなかった片岡鶴太郎氏でありましたので、最初から『オールナイトフジ』『夕焼けにゃんにゃん』をはじめとする当時の人気番組を掛け持ちでやらせていただいていたのですが、今となっっては懐かしい思い出ですがまだまだ血気盛んな時期でありました結え、若気の至りと言いましょうか調子に乗って、ある日その大事なたったひとりのクライアントであります鶴さんと殴り合いの大げんかをしてしまい、啖呵を切ってその担当をやめてしまったものでまったくお仕事がゼロになってしまった時期がありました。。。
その時真っ先に相談しに行かせていただいたのが、D3制作の「季節外れの海岸物語」という単発のドラマで、主演の鶴さんがらみでそのすべての出演者のスタイリングを担当させていただいてたご縁で面識のあった新井さんでした。
(当時はまだ『スタイリスト』と呼ばれる職種がようやくファッション雑誌業界でき始めた頃でしたので、まだTVの世界ではほとんど存在しておりませんでした。いわゆる『衣装さん』と言われる局と契約している貸衣装の会社が仕切っていたわけですが、新井さんはそれではTV業界はいつまでたっても最先端にはたどり着けないといち早く自分が関与する番組全てにスタイリストをつけろと命令した日本で最初のプロデューサーでもありました...。)
とは言え新井さんといえば、その時期泣く子も黙る売れに売れまくっていたまさに芸能界の超大物プロデューサーでありましたので、僕のような小僧など相手にしてもらえるはずないとわかってはいたのですが、もうすでに捨てるものすら何も無くなったわけですし、当たって砕けろ的ダメもとで思いきって連絡をとらせていただきましたところ、たまたま学校の大先輩で「出世払いだぞ!」と言っていつもご飯をごちそういただいてた日本の「食文化」におけるパイオニア、『DAINI'S TABLE』の岡田大弐さんや、当時一番プライベートでかわいがっていただいた『Men's BIGI』や『BARBICHE』のチーフデザイナー、小栗壮介さんたちと新井さんが大の親友だったという偶然も重なって、なんと奇跡的に相談にのっていただけたのです...(涙)。
今でも忘れません...その時、新井さんがおっしゃった言葉。。。「とりあえずワイハ~でも行って2~3週間遊びまくってこい!何も心配しなくていいからとにかく好きな事好きなだけやってはじけてこい!!」
衝撃でした......仕事もなく『不安』という二文字だけが頭の中を駆け巡り今にも押しつぶされそうな時にハワイで豪遊してこいなんて。。。

しかし人生とは予想がつかないものです...それまでハワイは1度しか行ったことがなかったし、好きかと言われても別にそこまで好きでも何でもないぐらいだったんですが、今考えるとこの時旅立った『無』の状況でのハワイから僕の『HAWAII.STORY』も始まりました。。。そうです...その時の辛く苦しい現状を、ハワイの青い空と海は一瞬で全て洗い流してくれてたのです!大パノラマにちりばめられた夜空の星も、ライトをつけなくても読書ができそうなほど照らされた眩しい月も、みんな僕の身体中に浸透していた「孤独」からくる「孤毒」というポワゾンを抜くのには十分すぎるほどのパワーを与えてくれました。。。すべてこの時からです...あ~いつか必ずここに住もうと誓ったのは。。。

そして数週間後、がむしゃらに遊びまくってリフレッシュ帰国すると、なんと僕を待っていたのは新井さん指名の3本のレギュラー番組と1本の単発ドラマ(「スパゲッティー恋物語」というBIGIグループのジュエリーデザイナー役の中森明菜主演の2時間ドラマで、ここでさらに明菜の相手役に大抜擢された無名の俳優、石田純一と運命的な出会いがあるわけであります...。)のお仕事でした!!!(涙)
もういくら感謝してもしきれないほど、嬉しくて嬉しくて...新井さんのこんなにも素敵すぎる粋な計らいを決して無駄にしないよう、「チーム新井」の一員として絶対名を汚さないよう、
死ぬ気で寝ないで働いたのを今も思い出します。。。(その後すぐに鶴さんとも和解し、なんと30年近くたった今でもまだスタイリングを担当させていただいております...。)
時代もいい時代でした...バブルだったのかもしれません...でも時代が違うからというだけではないのです...いいものはいつに時代も変わらないはずなのに、今の人達はなんでみんな本質に気づこうとせず、心ない社交辞令で冷淡な人ばかりになってしまったのでしょうか?
新井さんのように、あんなにもの凄く怖くて、でもしっかり常に周りの全てに気を使っていて、やる事やる事すべてが伝説になるほど豪快で、そして心底人間味溢れる温かい心を持っている真の大人が今どれだけ存在するのでしょうか?
お通夜で久しぶりに顔を会わせた大親友の恵俊彰がぽつりと言いました...「カズ...ここが俺たちの全てのスタートだったよな。全てここから始まったんだ...。」
ひとつの時代がまた静かに幕を閉じました。。。