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感じることをそのままに...。

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JUN 2010

あなたは本物?それとも…

先日ある有名カメラマンが自らの手で人生の幕を閉じた...。
僕自身はあまり面識はないのでお別れの会には顔を出さなかったのだが、亡くなる数日前に元アシスタントに撮らせた遺影(おそらく今考えると最初から遺影にするつもりで撮影させたと思われる...。)となってしまった故人の写真にはカメラをがっちりと握りしめ、レンズをきりっとにらみつけた『本物』である自分に対する自信が満ちあふれていたと聞いている...。
ネット社会の始まりとと共に生じてしまった、実体験を踏まなくてもあらゆる物を見た気になったり手に入れられた気になる「フェイク」な時代への突入...それはさらに追い打ちをかけての経済破綻で本来若者が感じなければならない「リアリズムへの憧れ」を完全に葬り去ってしっまった...。つまり実体験や本当の出来事、本当の自分から逃避行した若者達...本物と偽物の区別がつかないどころか必要とすらしない人達が現代社会を創り始めているわけである。「便利な事」が悪いと言っているわけではない...。ただ何事にもいい面もあれば悪い面の両サイドが存在するわけで、それをもっと考える必要があるのではないのか。。。本来、人というものは、悪い時、苦しい時に接しないとなかなか成長しない動物である。つらい時、悲しい時に限ってそこから脱出したいがために様々な感情や意見、アイディアが生まれることが多い。なぜならいい時は何もかもが当たり前のように思えるし、周りへの感謝も忘れがちだからだ。つまり昔からよく言ったもので『ピンチ』こそ最高の『チャンス』であるのに、「不便な事」から学ぶことの重みを今の若者は知らないし知ろうとしない。
「苦労は買ってでもしろっ!」なんてナンセンスな事を言ってるのではない。実際僕の一番嫌いな言葉は「苦労」と「努力」である。
言いたい事は本当に大事なものをチョイスできる目をもつべきではないかということ...確かにインターネットの普及により今まででは非現実的であったことを得れるという事実も素敵な事である。ただそれだけではトータルの何分の一かを理解したにしかすぎず、生きる素晴らしさを知るにはあまりに未熟すぎる...。一番大事なのはフェイクなものでは補えない自分のリアルな経験の中からなるべく多くの物事を感じとり知識や知恵としたうえで、自分にあった行動(他の人は気にしない!)をとるということではないのか?。。。ただでさえ昔から人の目を気にして自分の考えより多人数の意見に乗っかる「ブーム社会」的な傾向である日本人にとってこれ以上本物を見極められる若者の減少はとてつもない致命傷であり、たとえ今後経済が復活をしたところでいいものを理解していない、本物の目を備えつけていない人達に何ができるのか?...きっとSFムービーのようにコンピューターに人間が支配される時代が来るのもまんざら遠くはないのかもしれない。。。
昨年やはり自らこの世を去った僕ら世代の憧れ..故、加藤和彦氏もそうであったように、自分の手や足で人生を積み重ねてメッセージを発信し本物をつくり続けてきたアーティスト達にとってはなおさら、今の世の中にそれを受け止めるだけの力を持った者がもうすでに存在しないという失望感がこのような行動に走らせたに違いない...。
僕が本物かどうかはわからないが、自分自身も...実は何度も屋上から地面を見つめた時もあった。しかし、いなくなってしまうことは簡単かもしれないけど、自分にしかできない何かがあると自信を持って言える以上(伝統芸とまではいかないが)誰かにそれを伝えていかなければ生きてきた意味がないと思い直し今もこうして文章を書いていられるわけだが、やはりこの熱い思いを受け止める気がある人達が今後どれほど現れるのかは見当がつかないのも悲しい事実...。古いと言われればそうなのかもしれない。ただいつの時代でもいいものはいいものとしていつまでも決して変わらないはず!!...だったのが変わってしまいそうなこの底辺な時代に僕らの世代が何ができるのか?...日々自問自答の毎日であります。。。

写真
*ハワイ.オアフ島に初めて火山の神『ペレ』が上陸した時にここに座って海をながめていたという伝説があるパワースポット「ペレの椅子」。
僕が苦しくなると必ず訪れて癒される場所でもあります。ここに来ると誰もが自然に涙が溢れ出し、心が洗われていくのが目に見えてわかるのが不思議。。。
*今週描いたペレ様の油絵。希望に満ちて空を見上げているつもりで描いたのに色彩も含め(僕はあまり寒色系を使わないのだが...)なぜか悲しく見えるのは今の僕の心情の表れか?